ブレザーさん醤油の新商品開発プロジェクト
「ブレザーのタナカヒロカズさん」(筑波大学2年、19歳)は、明治6年創業の千葉県君津市の田中醤油の7代目として事業承継できるのか。新商品開発プロモーションで企業再生のチャレンジ!
小学一年生が大学生に
出会ったのは、2011年のタナカヒロカズ運動として初のギネスチャレンジイベント、田中宏和運動全国大会2011だった。71人も集まった田中宏和さんが集まる中、際立って目立っていたのが当時小学一年生の田中宏和さんだった。しかも、紺のブレザー(胸元にエンブレムのワッペンでボタンは金)にネクタイ姿だったのだ。迷わずあだ名は「ブレザー」になった。
もちろんお台場のイベントの会場まではご両親が引率してくださった。きっとお育ちの良い坊ちゃんに違いない。その後もメディアの取材や全国大会の時にはブレザーさんの側にはご両親がいらっしゃった。愛される一人息子なのである。元旦に送られてくる年賀状には「将来の夢は宇宙飛行士になることです」と書きつけてくれていた。将来の田中宏和の会の担う逸材として期待を寄せていた。2022年の178人のタナカヒロカズの集まりによるギネス世界記録達成のイベントにも家族3人で来てくれていた。
翌年の年賀状では、筑波大学への進学が決まったことを知らせてくれた。「あの小学一年生が大学生か!?」光陰矢の如し。しかし、出会いからしっかり11年が過ぎていて、小学生は大学生に、わたしは50代を過ぎていた。
「やりたいことが見つからない」
今年になってメールをいただいた。
「私事で恐縮ですが、自分自身にやりたいことが見つからず、一年が過ぎてしまいました。今はいろんな人の話を聞いてみたいと思い、幹事さんにご連絡させていただきました。幹事さんがお忙しいのは重々承知ですが、もし可能であれば、3月から4月の上旬にかけてご都合の良い時に、お会いし、一緒にご飯に行きたいです(まだお酒は飲めないです)。こちらから東京に伺います。」
もはや親戚のおじさん気分の身としては、会わない訳がない。
父、透さんの悩みと希望
6月、ほぼ幹事、「渋谷さん」、「(中小企業)診断士さん」は、千葉県君津市の田中醤油を訪れた。出迎えてくださったお父様、田中透さん。タナカヒロカズより同姓同名が多いことは間違いないだろう。
「わたしも今年で61歳になります。実質わたし1人で製造から販売をしています。このしんどくて、あまり儲からない事業を息子に継がせるのはかわいそうだと思っています。」
「息子さんは、お醤油屋を継ぐこと自体に興味がないわけではないようです。ブラザーさんも一緒にタナカヒロカズカンパニーで新商品開発に挑戦してみませんか?」
「息子の社会勉強にもなるので、ご提案いただけることはありがたいです」
タナカヒロカズカンパニーと醤油の密な関係
実は「豪商の田中宏和さん」は、キッコーマン(株)の社員を経て、田中本家博物館の館長になられている。そして、138人目のタナカヒロカズさんは、すばり「醤油の田中宏和さん」で、「豪商さん」のライバル会社に勤務されていた。さらに、わたし「ほぼ幹事」の母の生家は、京都の淀で醤油屋だった。タナカヒロカズと醤油は関係が深い上に、「和」を広げるミッションを掲げているタナカヒロカズカンパニーにとって、和食の基本である醤油は重要アイテムではないか。
タナカヒロカズカンパニーの「食と農プロジェクト」の第一号案件として、千葉県君津市の田中醤油と新商品開発&プロモーションにチャレンジします。