豪商さん田中本家博物館再活性化プロジェクト

長野県須坂市の十二代目「豪商の田中宏和さん」(80歳)は、一人息子の田中本家博物館館長とともにインバウンドの観光誘致で博物館と須坂市の地方創生、地域活性化にチャレンジ!

2009年、タナカヒロカズ運動で初の団体旅行の先に

2009年はタナカヒロカズ運動にとって第2次ビッグバンと呼べる、画期的な年だった。TBSのテレビ番組、今は解散してしまったV6さんがMCを務められる深夜番組『新知識階級クマグス』で紹介され、Googleの検索キーワードランキングのトップテンに躍り出た「田中宏和」は、その後も東京中日新聞、朝日新聞で紹介され、初のオリジナル楽曲『田中宏和のうた』を発売し、メンバーが一気に拡大したのだ。

調子に乗ったわたし「ほぼ幹事」は長年の夢を実現しようと思い立った。田中宏和さんだけが乗客の貸切バスで、新たな田中宏和さんに会いに行くツアーだ。

21世紀に「豪商さん」はいた!

こちら田中本家の起源は、享保18年(1733年)に遡る。初代新八が、須坂藩の御用達の商売をはじめ、名字帯刀を許される大地主へと成長。三代と五代は幕末には士分として藩の財政に関わる重責も果たし、その財力は須坂藩をも上回る北信濃屈指の豪商となったと言う。そのため博物館のキャッチフレーズは「豪商の館」。

 上品で快活、当主の風格がありながら物腰柔らか度ナンバーワンの田中宏和さん。21世紀に豪商と友達になることは至難の業だ。あだ名は「豪商さん」に即決した。

全員が「ここは自分の土地であり、すべて自分の持ち物なのだ」と一日館長気分で勘違いしながら、館長の「豪商さん」から説明を受けた。

「近世の正倉院」と呼ばれるという衣装、漆器、陶磁器など素晴らしい展示品のひとつひとつもやはり「自分の物」に見えてくる。

苦悩する豪商さん

2022年のギネス世界記録達成イベントに参加してくださった「豪商さん」から、「コロナで博物館の経営がきびしい」という悩みを伺った。コロナのため入館者数が10分の1に激減したという。それから2年経ち、世の中はコロナ明けの開放ムード、インバウンド観光客で

日本の一部は外国化している。しかし、須坂市にそのムードも外国人観光客の姿も見られないという。一方で、広大な庭と歴史ある建物を維持するコストは、都心のワンルームマンションの一年分の家賃なんて比べ物にならないくらい高いのである。

ついに240年の歴史持つ庭のシンボルとなる大モミジ、枝垂れ桜のメンテナンス費用すら工面できなくなった田中本家博物館は、現在、クラウドファンディングサイト「READYFOR」で支援を募るチャレンジ『田中本家博物館|倒木の危機。事故を防ぎ、日本庭園再生にご支援を!』の真っ最中だ(7月5日まで)。

起死回生のアイデアを!

繰り返しになるが、今や外国人観光客は日本の一部にあふれている。タナカヒロカズカンパニーの本拠地である渋谷、「ほぼ幹事」の実家のある京都のみならず、先日、瀬戸内海の直島に行けば、視界には欧米人のほうが多かった。であれば、江戸時代にタイムスリップできる田中本家博物館もガイジンさんたちの人気スポットにできるポテンシャルは十分にあるはずだ。本当ならタナカヒロカズカンパニーが田中本家博物館に融資などできれば良いのだが、生まれたばかりの零細企業にそんな財政的余裕なんぞない。であれば、知恵を出すしかない。三人寄れば文殊の知恵。タナカヒロカズ253人寄れば文殊菩薩84.3人分の知恵になるはずだ(単純計算に基づく)。

タナカヒロカズカンパニーの「(地域)コミュニティプロジェクト」の第一号案件として、長野県須坂市の田中本家博物館の再活性化にチャレンジします。